初投稿

私はしがない人間である。

「しがない」という形容詞を辞書で引っ張ってくるとこうだ。

 

1. 取るに足りない。つまらない。「―・い職業」

2. 貧しい。みすぼらしい。「―・い暮らし」    (goo辞書)

 

この形容詞は、まさに私の現在の状況を正確かつ端的に表している。

私はしがない人間を抜け出したい。抜け出さなければならない。

抜け出すためには、“面白い”人間にならなければならない。

ここでの“面白い”とは、こう。

  1. 会話をしていて面白い。知識と論理的思考力から繰り出される発言の節々が面白い。
  2. やっていることが面白い。興味深い。楽しそう。

 この時点で他人からの評価を気にし過ぎていることが明々白々だ。

そして、書きながら厨二臭いなあとメタ認知もしている。

 

では、他人からの評価よりも自分のなりたい自分になろうという言説の方が正しいのか?

厨二臭いのはいけないのか?

 

くだらねえ。この世に良いも悪いも無いんだよ(論理崩壊)。

 

とにかく、僕は面白い人生を歩みたい。

面白い人生を歩むには、自分が面白い人にならなければならない。

何故ならば、面白い人の所には面白い人が集まってくるというのもそうだし、何よりもまず自分が面白いものを人に提供できなければ、他人から、世界から何かを与えてもらう資格はない。

 

物理的にも、精神的にも、世界は自分を中心に回っている(これは、いわゆる自己中という意味ではなく、観測者という意味での話である)。

ゆえに、自分が変わらなければ全然世界は面白くならないのだ。

 

人生は、つまらないより面白い方が良いに決まっている。