クソみたいな世界
これから書く文章は、あまりにも支離滅裂だし、推敲もしないし、論理崩壊してるけど、僕の混沌とした内面をそのまま自然言語という人類が作り出した唯一無二のツールに昇華することによって、僕のストレスを少しでもいいから減らすという目的で書かれている。
昇華、開始。(“昇華”の使い方が合ってるかなんて知らない)
えーっと、まず僕はとんでもなく頭が悪い。ここでの頭の良し悪しってのはそのいわゆる勉強ができるかとかではもちろんなく、本質的な頭の良さっていうか、思考力というか、IQというか、まあそんな感じの頭の良さ。
で、“悪い”ってのは何を元に悪いって判断してるかというと、僕の尊敬する人たちと比較した結果、相対的に僕は頭が悪すぎるって結論に達したってこと。
仮に僕の尊敬する人たちをGとしておこう。Gに比べて、僕は、とても、頭が、悪い。
思考力もない。思考にユニークさの欠片もない。そして圧倒的に知識がない。何もない。その人たちに比べれば僕の頭なんて本当にガラクタのようなものである。とにかく僕は頭が悪い。
どうしてそんなに自分を卑下するのか。なんでだろう。自分がバカなのが事実ってのもあるし、自虐って楽なんだよね。楽。ツイッターでも、自虐ツイばっかりしている。だって、自虐って楽なんだもん(二回目)。
書くのに飽きてきた。僕は、これからの人生、自虐をしまくるし、自分の惨めさを味わってゆく。僕って自分の惨めさを味わうのが好きなんだよね。
惨めこそが真。僕は惨めになるために生まれてきたんだ。
惨めになりたい。もっと惨めになりたい。
良いなら良い、悪いなら悪いではっきりしたものが僕は好きなんだ。